こんにちは。

今日は1年生の冬から2年生前期までのスケジュールです。

前回言い忘れていたので、私の自己年表もついでに書いておきます。

一年生の11月頃、二年生の発表会アンド教授のご指導を見させて頂き、来年は怖い…と思いながらも、子どもが9ヶ月となり、歩き出すのを見て、まあなんとか行けるかなと思いました。

12月頃、この頃の息子は夜泣きも少なかったので、仕事もまあバタバタが少ないかな、なんて思って、税理士試験も受けちゃおうと講座の申し込みへ。
私は簿財二科目持ちで、もし合格できれば、卒業と同時に申請できる。
とウキウキでした。

1月頃、テーマ出しを大学院から要求されます。二つテーマを考える必要があります。そして、一つ目に関しては集めた文献と集める予定の文献リストも提出します。
もちろん、研究計画書等を他の大学院受験に用意していた方はそれを体裁を整えて提出すれば大丈夫でしょう。
真似しないでほしいですが、私は時間に追われ、一つ目に関して文献リストをまとめましたが、王道よりの論点でした。この時点ではオリジナルの理論を用意できず、ただ、新たな課題点(既に著名な先生により発表済み)は見つけていたのでそれに関する文献を集めて提出しましたが、二つ目のテーマに関しては、何も思い浮かばず、これも王道よりの有名な決着済みの論点を提出しました。
結果、難なく一つ目が採用されて、ほっとしたと同時に気が抜けてしまいました。意外といけるのでは?と。
この頃は考えに考えた結果、税理士試験科目は固定資産税にし、web講座を続けていました。まだまだ序盤で、これも意外と得意かもと浮かれていました。

2月頃、新型コロナが流行り出しました。それに伴い、3月に予定されていたスクーリングが中止されました。この辺りからゼミごとのスケジュールになりますので、スクーリングしたゼミもありました。
本来はこの3月でテーマが本決定します。まずここが最初の驚きポイントでした。
この3月で、ゼミの先生方を納得させられなければ、テーマを変えなければならないという話でした。
私は、必死にオリジナルの理論を用意しました。この辺りは王道のテーマを選んだ宿命ですね。新しいテーマなら、オリジナル理論を用意しなくとも大丈夫と言われましたが、君は過去の決着にいちゃもんを付けるわけだから、それ相応のものを論じる必要があると言われました。最初に言っておきますが、ここから挫折し始めます。笑

そしてこの時期に妻が妊娠します。
待望の第二子でしたが、ウキウキの12-1月頃とは違い、論文も税理士試験の固定資産税も思う通り行かなくなって、焦り出した頃だったので、あ。どうなるんだ?と思っていました。

3月頃、テーマへのプレゼンをメールベースで行いました。たしかまだオンライン指導は準備中だったような…。
なんとかぼろぼろのオリジナル理論を用意して、文字ベースでプレゼンし、このテーマで大丈夫です、みたいなことを言ったと思います。何度かやりとりがあり、無事このテーマでオッケーだから進めてみて、という評価だったと思います。ここでダメだったら、テーマを探しに行かないといけません。ゼミの中にもいましたし、他のゼミの方も再度探した方がいたと聞いています。

なぜ、3月から通常ならスクーリングとして指導が始まるかは今となっては明らかでした。

逆算的にお伝えしますが、2月に論文最終選考である「公聴会」があるんですね。これが終われば、先生方はとりあえずこの世代に対するご指導がひと段落します。卒業できる方は修正の指示があったとしても、3月まで比較的穏やかな日々ですし、公聴会で落ちて卒業できないとされた人も、9月卒業へ回されるので、ご指導は一旦お休みです。
なので3月くらいから先生方は次の2年生へ本腰を入れてご指導してくださる…ということですね。

ともあれ若干(この時点ではこれでも辛かったです)の指導を受け、これから大丈夫かなと思いながらも、税理士試験の勉強や仕事や育児を懸命に頑張りました。固定資産税は最初本当に理論が頭に入りませんでした。仕事は急遽新会計システムが稼働し始め、かなり追い込まれていました。妻が悪阻でダウンしてしまい、長男の育児や家事で結構心身共にやられました。割と正念場だったと思います。

そして4、5月からは論文の地獄が続きます。
新二年生!なんて言ってられません。本来は6月にもスクーリング、そして9月、11月、(12月)、とスクーリングが続きます。
しかし、私のゼミは結果的に全てコロナ禍によりオンラインでした。移動費や時間的に余裕があって助かりましたが、先生方は対面よりも厳しくされていたように感じますので、留年した方からすれば、対面であれば…と思った方もいると聞きました。

ちなみに私のゼミでは5-9月まで全て、「構成」の提出です。構成とは、本文作成の前段階のもので、この構成がオッケーにならない限り本文作成をさせていただけません。
そして先にお伝えしますと、ここから留年が始まります。9月時点で進捗が悪ければ(基本的には構成ができていなければ)、留年の話が出てきます。

そしてこの辺りからゼミ間、個人間で差が生まれます。

提出物の出来栄えや文字数は指導教授に従いましょう。ゼミで比較しても意味はありません。(過去の自分への言葉です。笑)
論文を完成させるためには、入ったゼミで、認められるのが重要です。認められて初めて最終選考の公聴会にすすめるのです。第一希望で入ったゼミでなかったとしても、割り切るしかありません。
…けど割り切れませんよね。笑

私は税理士試験と並行していましたが、提出期限も余裕を持たせたり、修正する前が良かったという謎のご指導がきてもしっかり修正前プラスアルファで提出したりやっていましたが、中々思うような評価ではなく、何度も何度も構成を書き直しました。
この辺りから指導教授と衝突する方も増えます。気持ちは…わかります。笑
けど、やはり論文に対して言っていることはどの先生も誠実で、芯をついてきます。こればっかりは長らくその道で生きてきた先人として学生からすれば辿り着けない場所にいらっしゃるなと思い返してみれば思います。(当時はそんな余裕ありませんでしたが…)

なので余計辛いんですよね。正論で殴り続けられるとメンタルがボロボロになっていきます。真面目にやっても、真面目なだけで点数が貰えることはありません。社会では理不尽な目にも遭いましたが、相手が破綻している方が精神的には保っていられるんだなと感じたのを覚えています。

そして税理士試験後、8月に十分な時間が取れなかったのもありますが、大事な大事な9月の提出で私は構成にオッケーは出ませんでした。本文に入れないまま二年生も半分が終わってしまいました…。

スクーリングがなかったので孤独でしたが、あぁ遅れてるなと感じずにはいられませんでした。


また明日続き書きます。
長くなってしまいますね。笑